40歳からの鍛錬


  平成2年11月、2歳年上の兄の死に直面。平成3年1月14日夕方高梁市内で追突事故、左膝を
 打撲、浮腫みで3週間の入院。8月24日昼頃、神郷町高瀬地内で正面衝突、2ヶ月の入院。11月
 26日義父が亡くなり3日後に起きれなくなり、即入院1ヶ月過ごしたその後遺症(むち打ち症)で
 悩んでいて、翌年に眼の状態が悪くなったため盲学校に行くことを決心した。
  この学校に入学して思ったことは、全盲で難聴の娘さんの親御さんに会って話を聴いた時、とても
 感動した。悩んだ末とはいえ、私はまだいいほうだと思われた。でも40歳を過ぎて、初めての寮生
 活と勉学は大変でした。学校では、保健室へよく行きました。先生は最初の赴任先が新見だったので
 話をよく聞いてくださいました。寮生活にも、よい先生がいました。先生がこんなことを言われまし
 た。試験が終わると、がんばった自分を褒めてやりなさいと言われた。今でも思うことは、解剖学の
 医学漢字が読めなかったので先生に聞くと全盲者に点字を読んでもらって漢字を覚えなさいと言われ
 たけど、同級生は読んでくれませんでした。最初に失敗したことは、解剖学の中間試験に前年度の試
 験問題を覚えなさいと言われたその問題をコピーして答えが覚えられなかった。1年を通して解剖学
 が出来なかったので1単位落とした。その時、担任の先生は、あん摩だけで良いと言われたが、どう
 しても鍼・灸師を取得したいのでと1年留年した。留年後、先生達にいつもいやみを言われた。私は
 解剖学と生理学の教科書を全文読み、これをテープに録音した。これを毎日寝る前に聞いて寝た。こ
 れで大体の基本が解るようになった。私なりに努力をした。勉学に励んだ結果、あんまマッサージ指
 圧師・はり師・きゅう師の免許試験に合格した。卒業後、先輩の紹介で美作の原医院で実際に治療を
 したことは、とてもいい経験になった。
  平成8年5月に自宅の2階で開業して、平成10年5月、1階に治療室を改装した。平成11年5
 月に新見短大の学園祭に初めて奉仕に行き、奉仕中に電話が入り家にすぐ帰るように言われた。父親
 の病気が急変したとのことでした。6月1日に亡くなった。
  盲学校の先生は、あん摩治療だけで生活は成り立つと助言してくれましたが開業してみて田舎では
 鍼治療も必要だと思いました。(カイロ、整体が多く、接骨院も増えた) 私は、疲れると「めまい」
 が出るので、殆ど、鍼治療の平方鍼法が基本です(撚鍼法)平成19年5月14日、「めまい」がひ
 どく起きれなくなり、救急車で病院へ搬送された。7月5日の間に3回も入退院を繰り返した。(こ
 の時期は患者さんが多かったので)
  現在私の治療方針として、あん摩はやっておらず、主に鍼治療をしています。補助として指圧治療
 (別名指鍼)もしています。指圧治療は両手を同時に使っています。もみ痛みも無く、スッキリして
 帰っていただいております。小児についてはマッサージをしています。治療法として「ふくらはぎ、
 から肩甲間部」までマッサージをすると「疳の虫」がだいたい治ります。(母親の手が一番です)た
 だし、病気がある場合は、身体に触れるのを嫌がります。私は、市内の保育園に行き、スキンタッチ
 の治療奉仕をしたいと思っています。平成9年から今日まで、奉仕活動を先輩たちの協力で、年に2
 回の予定で行っています。地元の議員さんの要請で始めたのがきっかけですが、盲学校で勉強したお
 礼として・・・。平成12年に起きた鳥取西部地震の時、新見市千屋地区にて倉敷、真庭、新見市内
 8人と新見市職員有志の協力で活動したのが印象的です。
  平成17年頃から岡山市、倉敷市、井原市のように鍼灸あん摩の施術に対する公的助成を新見市当
 局や市会議員などに働きかけていましたが、最初は相手にもしてもらえませんでしたが、私は何度も
 市の福祉課へ通いました。結果、次第に軟化して平成20年9月12日の市議会で前向きに検討とい
 う回答が得られ(山陽新聞に掲載)平成22年2月上旬に当局と施術者との話し合いが持たれ、内容
 は新見市在住者であれば誰でも指定治療院で何回治療しても1回に付き500円助成金が出ることに
 なった。同年4月1日から施行された。やり方は新見市が各治療院の領収書と申請書を印刷してその
 領収書と申請書を患者さんが市役所福祉課・各支局・各市民センターに提出すれば回数に応じた助成
 金を本人の通帳に1ヵ月後振り込まれます。
  このごろは、認知症の初期に鍼治療をすると良くなると言われています。また、病人の看護に疲れ
 て、欝やメニエル病になって困っている方にも鍼治療も良い。メニエル病から突発難聴になる方にも
 2週間以内で鍼治療すると良くなる。アレルギー体質(喘息、鼻炎、花粉症、アトピー症状など)も
 鍼治療で改善します。これからも色々な治療を続けていきます。今日現在、新見市内の病院・介護施
 設・企業には、はり師・きゅう師・あんまマッサージ指圧師がひとりも従事していませんが、30年
 前には3ヵ所の病院には居ました。                   平成25年11月

  その後65才になって、平成26年8月3日から8月9日までの1週間、東京都世田谷区成城にある
 信愛ホーム東京平方鍼科学研究所の短期研修に参加、目的は私の患者さん二人に対する治療法の指導
 を受けるためと私自身の治療技術がどの程度するか確かめるため。研修は鍼実技指導と講義(鍼科学、
 鍼臨床、解剖学など)と平方龍男先生と平方義信先生の録音教材を聞く学習でした。
  3日目、院長先生から当初の目的、二人の患者さんの治療法を指導していただき、私自身にも鍼治
 療をしていただきました。その他、時間が空いている時にもここにおられる先生方にも指導を受けた
 り、治療もしてもらいました。とても充実した1週間でした。

  平成29年7月22日(土)新見市鍼灸マッサージ師会として初めて参加、九州大洪水避難所
 医療支援で福岡県東峰村災害医療ボランティアの要請が18日に岡山県鍼灸師会からあり少数でも
 良いと言われたので即申込をした。私が佐藤君を介助して、松浦浩市先生を大島光稀先生が介助で
 4人参加した。会場に行くのに電車もバスも動かないと聞き、新鳥栖駅前からレンタカーを借り、
 運転は介助の大島先生がした。会場(いずみ館)に行くのに殆ど道路が遮断されカーナビも使えず、
 警備員の方にう回路を聞き、2時間もかかった。東峰村の状況は、目をそらしたいような所で道路は
 土砂で埋まり凹凸になり、田んぼは土砂に埋まり、川には流木があり流れが変わり、多くの家も崩壊。
 岡山県でも昭和47年に災害があり、それよりも大変な状況でした。
 12時に到着、軽い昼食を取り、携帯用ベットを準備し、13時から18時まで鍼灸マッサージを
 私たち4人と福岡県鍼灸師会の方々と東峰村地区民たちに施術をしました。来られた皆様が大変喜ん
 でいました。参加して良かった。
  平成30年2月11日(日)第5回災害支援鍼灸師養成講座(公益社団法人日本鍼灸師会主催)を受講。
 去年、福岡県東峰村へDMTA災害派遣医療チームとして参加していたので、養成講座を受講した。
 「(公社)日本鍼灸師会認定の災害支援鍼灸師」として災害対策本部に私も登録されました。
 
 平成30年11月、私の古希祝いで団体バス旅行に便乗して、夫婦で初めて伊勢神宮参拝をしました。
  
 今までに印象に残った症例1です。
 ○80歳男性、喘息で30年患っていた患者さんを週1回の鍼治療をして3年間で治りました
 ○91歳女性が階段から落ちて足の指1本が骨折して身体全体が内出血でした。眼の一部だけが白かった
 だけでした。この方は、心臓病と高血圧があり、降圧剤と心臓病の薬を服用していましたが、これらの
 薬が内出血の原因だと思います。週1回の鍼治療で2か月かかりましたが普通の皮膚になりました。
 今までに印象に残った症例2です。平成23年10月28日のことです。
 患者、S23年生、主婦、旦那の看病に疲れ10日前から腰から背中にかけて痛み、微熱、不眠が続い
 たと言われました。鍼治療をして帰る際に同じ状態なら病院へ行くように勧めた。翌日、病院へ行き、
 即救急車で県南の救急病院へ入院をして助かりました。病名は大動脈剥離でした。
 令和になっても元気に暮らしています。
 今までで、難しかった治療は、ブラウン・セカール症候群と線維筋痛症です。
 また、新見短大2回目鳴滝祭に鍼治療の奉仕活動に行った時のことです、この年に入学した生徒で
 アトピー性皮膚炎だと言われて相談にのると今も乳房から漿液性のものが出ると言われ、
 婦人科の先生に聞くと癌の可能性があると言われて、皮膚科の先生に相談するとアトピー性の患者さん
 にはよくあることで癌では無いと言われた。最近は、皮膚にトラブルが多いので、私が信頼する
 皮膚科の先生を紹介しています。

  平成31年3月中頃から左側下肢の痛みで市内の病院に行きCT、MRIを撮り骨などは、異常なしで
 痛みだけ残り薬の服用をすすめられて服用(リリカ、ロキソニン)をしたら胃の調子が悪くなったので
 止めた。自分自身に鍼灸治療や指圧などをして患者さんと向き合い治療をしています。色々な治療院にも
 行きましたが私に合う治療院は、見つからなかった。父親がよくしていた灸治療とストレッチポールで
 背中を伸ばしたり、妻が通っている運動施設で私の足の状態を言って、担当者に教えてもらっています。
 また、吉舎先生にも、腓腹筋の近くに鍼灸治療するとよいと言われました。
 岡山鍼科学研究会での時に、森基先生が鍼治療の講義をして最後には、いつも、指のとどくところには、
 自分自身に、鍼治療(撚鍼)をするように言われてました。

  70歳になり、令和の時代が、これからも、できることから、始めていきます。
 患者さんから、来て良かったと言われるような治療をしていきたいです。
 初めに、大阪の吉舎定良先生の紹介で全国の鍼灸師たちが鍼灸治療院にAEDを100台設置しように
 賛同し、全国の鍼灸治療院にAEDを100台設置しように承認され、
 この会で初めて岡山県に6月19日、やぎゅう鍼灸院にもAEDを設置した。
 AEDを設置したことで患者さんは、安心して治療に来られています。
 
  令和元年9月1日、県鍼灸師会青年部の赤澤成仁先生から連絡があり、10月会報誌の青年部のコーナー
 で「○○先生秘伝のツボ!」、ベテラン先生がよく使っているツボを載せる先生で私を載せることにな
 って、電話で話をすることになり、経験の話を文章にしてもらいました。

  令和元年9月3日夕方5時から雨が降り出し、30分頃からドシャ降りが二時間降り続き7時30分
 には、高尾・西方・新見地区に避難命令が出ました。鍼灸院の玄関にも泥水が入ってきていました。
 外へ出ると前の市道が川でした。取りあえず玄関の濡れた物を出して、妻は、外に出て町内の方と一緒に
 箒を持って水の流れをよくして終わったのが夜11時頃でした。私が生まれて初めての経験になりました。
 4日の朝、市総務課に電話をかけました。先ずは、市から保健師が来られて状況の聞き取り調査をして
 消毒するように言われた、その後に総務課の方2人で来られました同じことを話しました。
 この位なら、り災証明は、しなくてもいいですねと言われましたが、後から職員の方が来られて、
 り災証明を出して下さいと言われました。県視覚障害者協会の評議員なので被害状態を確認して西方の方は
 床下浸水(40cm)と私の玄関で床下浸水(10cm)でした。他の方には、被害はなかった。
 泥水の掃除は涼しい朝6時から8時まで4・5・6日まで3日間かかりました。濡れた物は、全部処分
 して、ごみ置き場まで6往復して作業が終わりました。それでも患者さんの予約があるので集中して
 治療していました。新見市、局地的豪雨災害で中国道の土砂崩れのため通行止めもあり、市各地、
 被害状況は、住宅の全壊1棟、浸水被害203棟(床上浸水32、床下浸水171)でした。
 3日午後6時から3時間で165ミリを記録し、6時からの1時間で103ミリという猛烈な雨に
 見舞われた。特にひどかった地区は、新見駅表と裏側でした。
 こんなことに遭遇して、本当にわかったことは、当事者にならないと解らないことがいっぱいありました。
 知人で被害に遭われた方が多いので何にもできなかった。
  令和元年9月集中豪雨災害で鍼灸院の玄関に床下浸水があり、
 10月28日(月)新見市福祉部福祉課より義援金を頂きました。
 10月31日(木)新見商工会議所より見舞金を頂きました。

  令和元年12月8日(日)思誠小学校 昭和36年卒業6年5組の同窓会を開催。
 参加者は、先生(89歳で要介護4)が岡山から車で来られて良い雰囲気で楽しみました。
 山口県、広島県、鳥取県、大阪府、倉敷市、岡山市、市内で16人です。
 私たちは70歳を過ぎ、身体に異変を感じる年齢になり夏ごろから新見で同窓会を誰となく
 言われていたので、私が友人2人に協力をお願いしました。
 みんなに懐かしい小学6年生の拡大した写真と地元産の蜂蜜をお土産として渡しました。

  令和2年は、コロナウイルス感染が日本に入って来て大変なことになり、色々な行事が中止になり
 オリンピックも来年に延期、学校も休み、マスク着用、私の仕事にも影響があり消毒用エタノールが
 買えなくなり困った時友人に少し分けてもらう、9月初めに数量限定で購入できるようになって、
 ひと安心。
 私は目が見えにくいので今年は、コロナウイルス感染予防のため初診患者さんの受け入れを断り、
 今年治療に来られた患者さんだけを治療していました。
 センサー付き手指消毒器と顔写真体温計、アルコール、マスクなどを購入して県新しい生活様式補助金
 申請を10月に11月末に確定、12月振込がありました。
 4月頃から右下肢外側が痛くて100歩歩くことができなくなり市内病院の先生に岡山市内の病院を紹介
 してもらい6月末に行き7月29日1回目ブロック注射を2回目は8月5日、3回目8月31日から
 少しずつ良くなり1000歩以上歩けるようになったが痛み止めを服用して1か月後には肝機能障害が
 出たので痛み止めの薬を止めて2か月後12月11日の血液検査で正常値に戻った。
 県鍼灸師会の奉仕活動の行事はコロナウイルス感染増加で、できませんでした。